去年のはじめ、コロナがまだパンデミックでは無かった頃、私は中古車を両親から譲り受けた。2013年のホンダ・シビック。
これが私の「自由の翼」である。
エンジンは弱いが、安定していて身軽な自動車。色も鮮やかな青で駐車場でよく目立つ。
決して高級車ではないし、私が大学生の頃から父はこの車を乗り回していた。所々傷が入っていたりヘコんでいたりして、これから運転初心者として乗り潰すつもりの私には打ってつけの車。
10年前、私は「自由の翼」を失った。22歳の時に受けた脳手術の後遺症で歩く事が困難になったのだ。
だからこそ去年譲り受けたこの中古車は私にはとても思い入れがあるプレゼントなのである。
30歳で運転初心者は私の地元では驚かれる。車無しでは何処にも行けない車社会である地域で育ったからだ。同級生は大概免許が取れる年になればすぐさま免許を取っていた。
免許を持つことが「自由の翼」への第一歩を意味しているからだ。
交通機関が発達していない田舎では車=自由。親や他人に頼らずに自由に世界を制覇出来る「自由の翼」である。
その傍ら、私は子供の頃からインドア派で体力が無く、学生時代は免許こそは取ったものの、ペーパードライバーで生き抜いた。
大学を卒業する2年前に人生を左右する大病だと診断され、その半年後に脳手術を受けた。
手術後は「座る」と言うスキルを再取得するまで数週間かかった。他人のサポート無しで少し歩けるようになるまで数週間。実家の玄関からキッチンまでの何十歩を10往復するのが日課だった。当時はとてもキツイ日課だった。
それまで「普通に」こなしてきた動作が難しくなって初めて人間はどれだけその動作がありがたいことか気がつくのではないだろうか。
「歩く」事が出来なくなって初めて「移動手段」の偉大さを痛感した。
自分の意思で動けると言う事。それは「自由」を意味し、その手段が足であっても、車椅子であっても、杖であっても、電車であっても、車であっても、全てが「自由の翼」なのだ。
時間をかけて、私は「足」という「自由の翼」を勝ち取った。
歩ける事が嬉しくてたまらなかった。自分が行きたいと思うところに何処までも連れて行ってくれる「足」。大切な大切な「足」。
学生の頃は良かった。大学の敷地内は歩けるし、バスも通っているので、不都合は無かった。だが、田舎の社会人として運転は必須。食材を買いに行くのも車で10分。車無しでは社会人として生きていけない現実が私を待っていた。
私は脳手術の後遺症で運転する事がとても難しい状況になっていた。10代から苦手意識を持っていた事もあり、運転が怖くて怖くて一定の場所を行き来する以外運転出来なかった。
だが、運転が出来なければ働けない。今は違ってきているが、あの頃はリモートで働くインフラは無く、毎日通勤するしか無かった。
歩けるようになって自由を取り戻した私の「自由の翼」がまたもがれてしまった。
このままでは働けない。行動の自由が制限されてしまう。
私は自分が持っている「自由の翼」が使える環境へ移り住む事にした。大都市ニューヨークに引っ越し、就活に挑んだ。
大都会で順調に電車通勤で働いていた私だが、数年してまた「自由の翼」がもがれそうになった。関節リウマチを発症してしまい、歩くのが物凄く困難になってしまったのだ。幸い治療法に恵まれて杖無しで歩けるようになったが、「行動の自由」が無くなる怖さをまた体験してしまった。
ニューヨークで一定のキャリアを積んで一年半前に地元に戻ってきた。フリーランスとしてリモートで働けるようになったからだ。
そして話は振り出しに戻る。
1年前両親から譲り受けた「自由の翼」。しかし、使いこなせなければ無いも同じだ。
田舎では私の「足」という「自由の翼」はもがれてしまう。運転出来るようにならないといけない。
半年前、通行量が少ない場所に引越し、恐る恐る運転の練習を始めた。
最初は片道数分のスーパーやハンバーガー屋さんに旦那や母親を助手席に乗せてヒーヒー言いながらの運転。数ヶ月続けてから一人で病院に行ったり、スーパーに行ったり出来るようになった。
初めて両親の家に一人で運転して行った時は母親に「ラッシュアワーになる前に早く帰りなさい!」と急かされて帰った。でも二人とも私の中の「何か」が進化したと感じたのは間違いない。
今でも運転することを考えると「怖い」という思いが頭を過ぎる。
でもそれ以上に「私は自由だ」というワクワクが心をギュッと掴んで私を掻き立てる。
毎回ハンドルを握り締めると脳手術のリハビリで歩いていた初期に戻った気分で高揚感に浸る。
「私は自由の翼を手に入れた。私は自由だ。何処にでもいける。」
幸せを噛み締めながら、スーパーに牛乳を買いに行く。
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